株式会社新航丸

 
 

新航丸 野﨑 清美さんのあゆみ

talk1

島にいるのに島の魚が食べられないなんて。

定置網漁を営む新航丸の3代目の清美さん。高校卒業後は高島を離れ、福岡で飲食業などを経験。「高島の宝当神社にお参りすると宝くじが当たる」と宝くじファンの間で噂になり、全国的に有名に。このブームの立役者は清美さんのお父さんでした。30歳、高島に戻ることを決意します。

talk2

3代目として、自分の役割

日本青年会議所(JC)での活動を積極的に行い、いろいろな経験をした清美さん。将来を見据えて、「株式会社新航丸」として法人化することにしました。

船上作業中に赤エイの棘が腕に…

船上作業中に赤エイの棘が腕に刺さり、救急車で運ばれました。たたでは起きない清美さんは、船に乗れない間に耕作放棄地でハーブや無農薬野菜の栽培をはじめます。

talk3

島ごと、上手くまわっていくように。

コロナによって来島者数が減少した高島。清美さんは、あらたな収入源として新規商品開発をはじめました。

佐賀県産業イノベーションセンターによる太刀魚の機能性研究へ協力。

talk4

新航丸のこれから

みんなでつくる、あたらしい島。

talk1

島にいるのに島の魚が食べられないなんて。

お父さんがつくった宝当神社のブーム。盛り上がる故郷の島の様子を目にした清美さんは、島に帰ることを決めます。清美さんの家は祖父の代から続く漁師の家系でしたが、この時は漁師になるつもりはなく、魚の干物や観光客向けの土産物を販売する『宝当海の駅』の運営をしていました。
当時はお父さんの世代も今以上に元気で、お母さんが船に乗っており、清美さんが漁に出るのは人手が足りないときくらい。このときは手伝い感覚が強かった、と振り返ります。
「母は毎晩漁にも出ながら、店のことも気にかけてくれていてね。二足の草鞋みたいな状態で。店をはじめた年、母が漁の作業中に倒れて、船から降りることになっちゃったの。母には少し悪いことをしてしまったかな。」

それからの日々、島の現状が見えるにつれて少しずつ心の中で変化があったそう。
「日本全国で漁師が減っていて、高島には漁業者は16人で、そのうち定置網漁をしているのが10人くらい。自分が定置網漁を継がなかったら、この先島に漁業がなくなってしまう。昔はほとんどの人が家業として漁業に携わっていたから、島の人が島の魚を食べられないなんてことはありえなかったけど、近い将来、島に住んでいるのに魚が食べられなくなる可能性が高いと考えて、なんかそれって変だなと思って。海女さんだけだと島のみんなに魚が行き渡るってことは難しいから、私が定置網漁を続けていかないとなと思うようになりました。」

talk2

3代目として、自分の役割

お店をはじめてから1年ほど経った頃、日本青年会議所(JC)に入った清美さん。そこでは違う業種のさまざまな経営者と知り合い、話すことで新しい柔軟な考えを取り入れることができたそう。32歳から40歳まで8年間、唐津、佐賀、九州、日本、JCIと全部に出向いていろんな経験をしました。
さまざまな考えを持つ人たちと話す中で「この先も定置網漁を続けるなら法人化が必要かもしれない…」と考えるようになったそうです。

「当時は父の個人経営で、ものごとの決め方が昔ながらの口約束だったりして。船はこの人の持ち物、2ヶ所ある漁場は親戚の誰と誰がつぐ、とかややこしかった。島に定置網漁を残し続けていくとしたら、しっかり整理して法人化するのがいいんじゃないかって思ったんです。そうして会社にするなら、継ぐのは自分なのかなって。」

法人化後、清美さんは店舗の営業をしながら、人手の必要なときを判断して漁にでることが増えました。事業が上手くまわるように、そして漁師間のコミュニケーションが上手くまわるように、自分の役割を担っていきます。

talk3

島ごと、上手くまわっていくように。

2020年、新型コロナウイルスによって来島する人数が激減。観光産業は大打撃を受け、新たな収入源をつくるため、新しい商品開発に取り組むことに。思いついたのが、お母さんたちが普段からつくっている家庭の味のフライ。
たまたま会った佐賀県の水産課の方にその想いを伝えると、さが農村ビジネスサポートセンターにつなげてくれたそう。初めてだった冷凍の加工品製造にあたってどういう許可がいるのか、ラベル表示の内容など、分からないことをひとつひとつ支援してもらったと振り返ります。
同時に、漁家民泊開業にあたっても助言を受けていました。翌年、定置網や塩づくり、農業体験をしてみたいという人に向けて、空き家をゲストハウス『漁師小屋』として使えるように整備をはじめました。

2022年には市場で価格のつかない未利用魚「アイゴ」を使った海鮮ピザなどを開発。これには島の耕作放棄地を活用した畑でとれたハーブがふんだんに使用されています。
「定置網漁だから、狙ってなくても獲れてしまう魚がいるんだけど、ちょっと下処理に気をつけることができたらおいしく食べられる。もったいないからなんとか活かしたいなって思って。おいしい食べ方は、小さい頃から父や母に教えてもらって知っているし、そういう魚を宿やカフェで提供していきたいな。」

今後開店予定のカフェには、3Dフリーザーを導入し、シケで魚が獲れない時期でも美味しい魚が提供できるように計画中。ロスがでにくい仕組みとしても活用できるので、たくさん量を作ることができるような状況になれば、島の人の新たな雇用も生まれる。「私より魚料理が上手い、島のおばちゃんたちがいっぱいいるからね」と清美さんは誇らしげに語ります。

talk4

新航丸のこれからみんなでつくる、あたらしい島。

今後も漁業を起点にしつつ、複合的に島づくりを進めていきたいと考えている清美さん。これから島の空き家を使って、移住したい人や旅行者が滞在しやすいような施設づくりを進めていく予定です。島の人たちが未利用魚を調理して提供したり、耕作放棄地を活用した畑で野菜を育てて、島に滞在するお客さまに食べてもらえる。そして、島に関わる人が増えていって、島で暮らしたり、漁師になりたいという人が少しでも増えてくれたら嬉しいと笑顔で話します。
「なかなかそういうことを言い出す人が今は私のほかにいないから。だから自分が口にすることで、チームをつくったり、それを円滑にまわしたりする。そういうシステムをつくるのが私の役目なのかな。」

いま島にあるものに感謝してそれを活かし、ときに新しいものを学び取り入れながら、島の中での循環をつくりだす、そんな島の全部を自分ごとで捉える清美さんの島づくり。コロナ禍で着々と準備をすすめてきたシステムが、まさにこれから動き出していくのが楽しみです。

支援機関・体制

玄海水産振興センター / 補助事業の支援等

佐賀県産業イノベーションセンター / 各専門支援(さが農村ビジネスサポートセンター)